キャプテンアメリカはここに

ADHDのアメリカ人の旦那と、息子と私の3人家族の日常

息子の検診で栄養士さんに言われた言葉と発達心理相談の先生に言われた言葉


一歳半検診の栄養士さんの話

1歳半検診を受けたときに、恐らく任意で栄養士さんに話を聞いてもらえる機会がありました。

当時あまりにも食べない息子を心配して、いろいろ食事に工夫をしていたつもりでした。何とか食べさせないと、と母は必死だった(つもり)。

息子に何かアドバイスをと、同時に母の心理的にも何かプラスになるお話を持ち帰ろうと、栄養士さんに個別に話を聞いてもらうことにしました。

発達障害を疑っていたので、偏食や、味覚や嗅覚の過敏があって、いろいろ食べられないんじゃないかという疑念もありました。

長時間じっと座って食べることも息子にはできませんでした。

栄養士さんの手元には、息子の一歳半検診の用紙。備考欄に、夫がADHD、息子もそうではないかとの不安がある。と書いた。

当時は、

夫がADHDなので、息子もそうなんだろうなという目で息子を見られていたこともあり、「発達障害かもしれない、どうしよう、不安!」というものは、ありませんでしたが、それでも、ADHDパパにADHD息子と、将来は大丈夫だろうか、息子は学校でつまづかないだろうか、自分は上手く息子を導いてやれるだろうか、という漠然とした不安がありました。

順番も全く待てない息子。並んでいるお母さんたちと静かに待つそのお子さんたちを横目に、息子は走り回って、絵本のコーナーで絵本を片っ端から出して遊ぶ。

息子を追いかけ連れ戻そうとすると、逃げてまた走り回って、ギャンギャン泣く。

そして、ようやく回ってきた順番。

「あまり食べてくれなくて困っています」

「どんなものを食べていますか」

当時、具を変えた混ぜご飯を多用していた私。市販のベビーフードもたまに食べていただろうか。

別々に出しても食べてくれない。混ぜると少しは食べてくれた。

気にいったものだけ(白ご飯のみ等)を食べることもあったので、なんとか栄養を均等にとらせようと、肉を刻み、魚を刻み野菜を刻み、混ぜていた。

それから、サンドイッチ、ゆで野菜、麺類いろいろ頑張っていたつもりだったが、出しても食べてくれないことも多かったので、頑張ることをやめていた自分もいたかもしれない。

「他には?」と聞かれた。

(...他?)

今、述べた料理(とも言えないか)が、精一杯の回答だった。

「味噌汁とかスープですかね?」

もともと話すのは得意ではないので、しどろもどろに、考えに考えて、そういえばスープも出してるな、と思い答えた。(飲んじゃくれないが。)

そして、栄養士さんに単刀直入に言われた言葉は

「同じものを食べることに飽きているのだと思う」

とのこと。


確かに「一度ものすごく食べてくれたもの」なんかは、繰り返して出していたかもしれない。

(毎食三回、毎日、どう違うものを出したらいい?)

毎食三回、毎日。

食べてくれずに残すことも多い。

日常生活に疲れていて、掃除洗濯家事に買い出しに出て、日常品も買って、子どもの世話。

我が家の掃除は、一般家庭の掃除とは違う。

ADHDパパにより、床に散乱するごみ、油の飛び散り、唐揚げにポテチが一面に広がるような床、夫の嘔吐物、


ご飯まで頑張れていなかったのは確かだったかもしれない。

(これはあまり意義のあるものではなかったなあ)

真剣に聞いたふりをして、自分の努力不足を認め、バリエーション豊かな食事にしてみます、ありがとうございました。

頭を下げて部屋を出た。

要らなかった。

明らかに、親の怠慢みたいなレッテルを貼られた上での会話だった。

栄養士さんは、朝から同じ話をしているんだろうな。疲れるよね。でも、それぞれ家庭に事情があって、子どもはそれぞれ違うのよね。

若そうな方でしたが、お子さんいるのかな?なんて思ってしまった。こっちも偏見だ。いかんな。
大衆向けの栄養相談は私の家庭には合わなかったというだけ。

ちょっと、はてなはてなはてな?(はてなブログだけに)

と、もやもやの残る栄養相談でした。

発達心理相談の先生

一歳半検診では、栄養士さんに話を伺った後に、発達心理相談も受けました。結論は、この年代の子どもはみなADHDのようなもので、見たところ、これといってADHDに特出しているようには見えない、とのことだった。このときは、それのみで、特に話という話は受けなかった。

心配でしたら2歳ころに、また発達心理相談を受けてみられたらどうですか、とのことだったので、受けたのだった。

息子2歳頃。図書館や、支援センターでの、絵本の読み聞かせによく行っていた。始まってしばらくすると、部屋を走り回り、絵本の前に立ち、絵本を読んでいる先生の足にちょっかいを出して遊ぶ。真剣に聞いている少し年齢が上のお兄さんお姉さんたちからは、

なんだこの子、という迷惑そうな目。

引き剥がして、母による強制退場をすると、またわめく。

そんな感じで、読み聞かせはわりと大変だった。それでも膝の上で聞いてくれることも少ないながらありはしたが。

発達心理の先生は、発達障害児と日々向き合っているので、的を得た回答を連発。大変な中でも、できることは、こんなことあんなこと、

と、いろいろ長い時間を取って話を聞いてくれたし、話をしてくれた。

そんな中でも印象に残ったセリフ、

「絵本の読み聞かせは行かなくてもいい」

子どもは絵本から言葉を覚え、知識を増やし、日常に大切なマナーやなんかを学んでいく、「絵本の読み聞かせ」、それも「みんなで一冊の本を聞く、見る」ことに漠然とした、子の成長にプラス面があると何故か思っていた自分。

絵本の読み聞かせにつれていくことは、自分も大好きな行事だった。家にいて本を読んでも飽きる。毎日公園でも飽きる。出掛けるのに最適の場所だった。

でも、あまり座って聞いてくれないと先生に話すと、先述の答えが帰ってきた。

やりたくないことを無理にやらせても仕方ないか。そりゃそうだわな。

簡単なことだが、絵本神話みたいなものに、とらわれていた私は、はっとした。

絵本をじっと見て聞くことより、走り回って、きゃっきゃっすることの方が、息子には魅力的で、やりたいことなんだったら、

それでいいんや。

それ以後一切読み聞かせには行っていない。

実家に帰ったときにはお祖母ちゃんに一回つれていってもらったか。そのときは、一応後ろで息子の動向をはらはらと注意してみていたが、終始実母の膝の上で真剣に絵本を見ていた。

この差はなんだ。久しぶりだったからか?以前は行きすぎて飽きていたのか。(ADHDは飽きっぽい)
1番前で見れたのが、よかったのか。笑

今は寝る前には絵本を読んで、歌を歌って、寝る。それで十分だなと思っている。

以前はてなブログで似たようなことを感じておられたお母様の記事を拝読し、自分もあったなーと思い書いてみた次第です。