キャプテンアメリカはここに

ADHDのアメリカ人の旦那と、息子と私の3人家族の日常

パパとお酒と私

パパは一度救急車で運ばれたことがある。

仕事から帰ってみると、パパの様子が何だかおかしかった。普通を装っているみたいだったが、青白い顔をして、気分も悪そうだ。
よく見ると手がぶるぶると震えていた。それに気付くと、体も小刻みに震えている。

横になって休むように言ったが、横になるのは嫌だそうだ。寝たら目が覚めないかも、なんて言うもんだから、急に怖くなった。

もう夜で、診察してもらおうにも近くにあいているクリニックもなかったので、大学病院の夜間救急外来に電話した。

電話で、救急車を呼んで、それで来てくださいと言われた。
そう軽々と救急車を呼んでいいものかと思ったが、大丈夫とのことだった。

人生で初めて救急車を呼んだ。小学校で電話をかける練習をした覚えがあった。

救急ですか、火事ですか?

聞いたことのあるフレーズ。
救急です。冷静に答えた。訓練して知識として蓄えておくことは大事なことだと思った。

郵便番号と住所を聞かれた。引っ越したばかりで、よく覚えていなかった。郵便物をみて答えた。

宅建物の入り口はどの方角ですかと聞かれた。これは、冷静さを取り戻させるために皆に聞いているのだろうか。
まだ住み慣れない地域の、方角なんて知らなかった。
日当たり的に入り口は北だと思ったが、うちの建物に入る小道はそうすると東で。でも大通りから小道に入る入り口は南。どの入り口のことかしら、なんていろんな考えが浮かんで、よくわからなかったので、そのまま、よくわからないと答えた。

でも何回も聞かれた。方角に確信もなかったので、適当なことを言うのも嫌で、分からないで通した。電話口では、まるで冷静さを失っているかのようにみえていたのだろうか。どうだろう。

そうこうしていると、サイレンが近くにきた。道が細く、建物の前まで救急車が入ってこられないようだった。私だけの支えでは階段を下りられそうにないとパパに言われて、これはいよいよパパ大丈夫かと心配になった。部屋の前まで担架が来てくれた。

救急車に乗って、軽くバイタルチェックを受けて、パパは少し落ち着いたように見えた。
病院について、CT検査を受けた。だが、異常は見られなかった。しばらく病院のベッドで休んで、タクシーで帰宅した。車内では何も話さなかった。

パパは何故こうなったか、何となく自分の見解をもっていたらしかった。

アルコールの離脱症状だと。

震えていたのは振戦と言われるものらしい。

馴染みのない言葉だった。

当時は、お酒をやめてほしいとパパに何度もお願いして、飲んでいるのに気づいたらまた話し合いをして、パパもやめると約束して、また飲んで...みたいなことを繰り返していた。少し前に約束して、飲まないと言っていたのに、話を聞くと、そのあと隠れて飲んでいたみたいだった。そこがとてもショックだった。聞くところによると、1週間くらい飲酒をしていないとのこと。急にやめたので、それによる離脱症状ではないか、とのことだった。

アルコールの離脱症状。またよく分からない世界だ。wikiを見ると、何やら危険そう。

この事件からまた、絶対にお酒を辞めると約束をした。怖い思いをしたので、パパも辞めたいと話していた。ただ、急にやめるのもよくないので、徐々に減らして、最後には0にするという約束にした。

しばらく頑張っていたのは認める。でもひと月もするとまた、普通に飲むようになっていた。

そこから一年くらい、見守りつつ、やめてほしいとお願いしつつ、が続いた。

私がお酒を辞めるように言わなくなったのは、彼のお姉さんに相談してからだ。どうしてもやめてほしいがやめる気配が全くないとお姉さんに相談した。
彼女からは、お酒をやめるのは無理かもしれないと返ってきた。彼らの父もまたお酒をやめることはなかったと、そう言っていた。

一緒に生活してきて、パパがお酒をやめることはもう無理なのかもしれないと諦めかけていたところだったので、こればかりはしょうがないことなのかも知れないと、もう諦めることにした。やめてくれないことがストレスだった。

お酒を辞めて欲しかったのは、毎日毎日夜中に酒をかいに出ていき、玄関をバタバタ開け閉めし、コンビニのビニール袋をシャカシャカならして帰ってくる。そうして、私の眠りを妨害していたからだった。

自分の知る世界では、夜は外出してはいけないし、みな静かに寝る時間だった。彼はその時間に酒をかいに出ていき、朝まで飲んで酔っ払ってグータラとソファの上で寝ていた。

朝起きて、酒の缶が床に倒れてこぼれていたり、ポテトチップスが散乱していたり。一度、唐揚げが大量にばらまかれていたこともあった。部屋を汚すのは、ほぼ毎日のことだったので、とにかく日々ストレスだった。

体も心配だが、自分で飲みたくて飲むならもう知らんと思った。もうやめて欲しいと言わなくなった。
すると不思議とストレスは減った。思うに、私は自分の言うことを聞いてくれないのが嫌なだけだった。約束して、それを何度も破られることが嫌でムキになっていたのだろう。信頼に足らなければ夫婦関係は構築できないと思うこともあったが、好きにさせれば、もう私とは関係ないと思えば、自分のストレスは減った。

朝起きて居間の汚れの有無に一喜一憂するのも、嫌だったので、毎朝居間だけは完璧に掃除をすることに決めた。

私が酒、酒、言わなくなると、目に見えてパパの生活態度が改善したように感じた。部屋を汚す回数が激減した。彼らはストレスに弱いので、なるほど、ストレスの悪循環に陥らせていたのは、私だったのだと思った。パパが良くなっていったことで、私も酒を許容することができた。

今では、お酒を見ても、たまにムッとするくらいで、別に彼の好きなだけ飲んだらいいと思っている。それが原因で介護が必要になっても、私はしないと伝えてある。酒代がバカにならないが、必要経費と諦めた。

彼も寝る前にお酒を飲むのは良くないと分かってはいるのだ。でも、これがないと眠れないので、どうしようもない。何度も辞めようとしていたのも知っている。その度に、眠れなくて、朝しんどそうにベッドに横たわっていた。

何度も衝突し、意見をぶつけた。つらつらと文句をたれた。でもパパはいつも優しく、陽気だった。責め立てると、ごめんねと言ってくれる人だった。私はほとんど責められたことがない。私が文句をたれてもパパはいつも、明るかった。
私のせいで、より深いストレスに苛まれていたのだと思うと、悲しくなった。

世の中にはいろんな世界があるんだなぁ。

自分たちの家でくらい、自分たちの好きな世界を作っていけばそれでいいんだろうなと、今は思う。