昨日の冷たい眼差しからの今日
最近イライラするのは、暑さのせいか。
パパがとにかく我を通すのが、許せん。
しかし、ふと思う。
人は鏡だと。
自分の行いに、我を通しているところはないか。
パパの意見をないがしろにしているところはないか。
「海にいきたい。」
「だめだよ。神奈川の知事が、今年の夏はこないでくださいって言ってるから、行けないよ。」
これか?
うーん。
パパが買ってきてくれていた、私の好物のカップ焼きそばを食べた。
割り箸で。
地球環境に悪いが、私の精神環境も、大切。
食べながら、ふと思ったのだった。
パパが我を通すので、負けじと我を通そうと奮闘するも、結局打ち負かされるので、諦めて、溜め込んで、イライラする。
そして、もしかしたら自分が我を通していて悪いところがあったのかも知れん、
と考えている時点で、もうすでに白旗をふりかざしているようなもんだ。
難しい。
一度、心が沈むと、なかなか帰ってこない。
時間がたってしまえば、普通に接してくれるパパのおかげで、元に戻れる我々夫婦、であることも事実。
いろいろ許せない点があろうとも、いつも通りのパパであることも同時に感謝すべき点なのである。
別に、汚したくてわざとしているわけではないので、責め立てはしない。酒のせいで吐いているという現実があるので、酒を飲んでほしくないのだが、そこは、無理なので、諦めて(やって)いる。
ただ、汚したのが自分で、それを片付けているのが妻ならば、何かしら、言葉をかけてくれてもよいのではないか。
テレビを見て息子と笑っている場合か?
私が見たかったんだ、アタック25。
そもそも、ほんの数日前に、こういうときはごめんねとありがとうを言うのだと伝えたばかりだ。というより、昔からそう言ってきた。
私はお掃除の人ではない。