この親にしてこの子にしてこの孫あり
自分の幼稚園のお遊戯会で、全児童とその保護者の前に出て、一人台の上にたち、
「これから〇〇幼稚園のお遊戯会を始めます!」
と開会を宣言する大役を任された。
なぜ自分がやることになったのか覚えていないが、やりたいといったのか、指名されたのか。
やる瞬間までなんとも思っていなかったが、
いざ人の前に出て台に立ち、しんと静まり返る皆を見ると緊張してしまい、言葉が詰まった。
言葉が詰まったことを、いつまでも覚えている。その感覚もいまだに覚えている。
苦しくなって、変なところで呼吸してしまい、スムーズに台詞が言えなかった。
緊張して言葉につまる、その感覚。恥ずかしいという思い。
今も人前で話をするのは苦手だ。言葉に詰まってしまい、真っ白になる。話の着地点が見つからなくなることもしばしば。
学生時代にクラスみんなの前で歌を歌うという試験があったが(鬼畜)、震える声で下手な歌を顔を真っ赤にして歌った。
家ではいつも父親が怖かった。朝ご飯と夜ご飯をいつも緊張しながら食べていた。父とテレビのちょうど間の席が自分の席だったので、いつも見られているような感じがした。テレビを見ながら黙って食べる怖い父。いつも下を向いてご飯を食べていた幼い頃の私。
そのせいなんじゃないかなー。
体が緊張する癖がついているんだろう。人の目線が怖いのはそれなんじゃないかな。
それが、すぐに呼吸が苦しくなる元々の、本当に元々の原因なんじゃないかな。
知らんけど。
思うのは自由。
最近、息子のイヤイヤが激しさを増してきた。
母はたたかれる。押し退けられる。
パパがアニメを見せるも、寝る時間だと言ってママがそれを阻止すると、すごい勢いで暴れる。急に予定が狂って嫌なのだろう。
歯磨きをして寝ようと、歯ブラシを渡そうとするもはたかれる。歯みがき粉飛び散る。汚い。コップの牛乳さえはたこうとする。阻止した。ナイス私。
何を言っても嫌だ嫌だと、ものすごい剣幕。
幼い私もそうだったのかもしれない。
私の父ももう疲れていたのかもしれない。
何を言っても聞かないから、口を聞かなくなっていったのかもしれない。
(でも父は、育児は母任せにしてたな)
私。息子の主張を寝る時間だからと、さえぎる。寝る前は歯磨きをする決まり。絵本は5回まで。
約束だから。
泣きわめく息子を落ち着くまで泣かせておいた。お隣から壁ドンがきたような。部屋にこだまするなき声がうるさくて、定かでない。ごめんなさいお隣さん。ビクビク。
小さい頃はいつも自分の父親に押さえつけられていると感じて生きてきたが、自分が息子にしていることも、息子からしたら同じことなのだろうか?
息子も私が感じてきたように、いつも言いたいことを聞いてもらえないと感じていたら、もうなんというか、すごく残念だなあ。
血は争えない。
この親にしてこの子にしてこの孫あり。
それではいけないから、子どもが落ち着いてから話を聞くようにする。嫌だったね、と共感して彼の嫌だと思ったであろうこととその気持ちを代弁する。
そうするといい、といろんなところに書いてある。
自分が感じてきた思いを絶対にこの子にはさせたくない。
血って怖い。